《執着してたらやってられない》国、インド①


ヨガやインド料理教室をやっていると生徒さんがインドについて興味を持たれ、質問をうける事が多くなってきました。

ハワイや韓国のように、フットワーク軽く行けるイメージがないので、
まだまだインドは未知の世界のようですね。

約30年の間、私が経験した範囲でインドという国のカルチャーショックについて少しづつお伝えできればと思っています。今日はその第1節。

そうです、インドは、カルチャーショックという言葉がしっくりくる国なのです。

私自身2015年5月以来、インド🇮🇳には呼ばれていないので『インドに行きたい病』が爆発しそうな💥今日この頃です。

よく《インドには、呼ばれる人と呼ばれない人がいる》と言われますが
呼ばれるタイミング、呼ばれる場所もあると思います。

2014〜2015年は一年間で3回も呼ばれましたが、ここ2年は一度も呼ばれてない。
インドに恋わずらいしそうです😫

そして今まで5回行き損なって、まだ一度も行けてない《リシケシ》
この場所からも私は、どうしても呼ばれない。
インドにまで行ってながら、リシケシに行く準備をすると体調崩したり、同行する人の都合が悪くなったりで結局、計画が流れてしまうのです😭
趣向を変えてヨガではなく、キャンプやラフティングで行こうとしましたが、それも流れました。

Indian曰く、リシケシは聖地でも何でもないから、別に呼ばれなくていいんじゃない👐 
だそうですが、ミーハーな私はオシャレなカフェやお店がたくさん有るらしいから余計に行きたくなる。
そんな不純な気持ちだから呼ばれないのかも です。
リシケシは、ビートルズがヨガの修行をした事で有名になった場所ですが、インド人からすると老舗ではなく、新興住宅街のような土地らしいです。

ガンジス河の上流のヒンズー教聖地ハリドワールと下流の聖地バラナシには呼ばれた事あるので
《アナタ、イツ シンデモ ダイジョウブ》とIndianは 言います。
ハリドワールという土地は、リシケシに行く途中にあるのですが、Indian曰くあの世に行く前に行って現世での罪を沐浴で洗い流したり、若い人ならこれからの人生の成功を祈ったりする
《聖地》だと。

そんな信仰心厚い インド大国。
慈悲深いかと思ったら、平気でウソつくし、騙すし、見返り求めないかわりに、感謝の言葉はいちいち言わない主義。超アッサリしてます。

こんだけしてあげても《ありがとう》の一言もないのね。なんて思っていたらこっちが疲れてしまいます。
代わりに、あっ〜、お礼言いそこなった。言わなきゃ!と反省する必要もない。
普通の事しただけだから! と至って
素で返される。
決して恩着せがましくないので、慣れると とても付き合いは楽な国民性。
日本の人間関係に疲れたら行きたいと思うのは、きっとそういうサバサバした部分がしっくりきやすいからかもしれません。

そしていっぺん通りの法則は、通用しない。
肩透かし、予測不能、感動バージョンじゃないサプライズ多し。。。な国

だから、型にはまった自分の先入観や思い込みなんぞが相当アホらしくなってきます。

総体的に私がインドから学んだ事の一番は《感情の執着を捨てる》事だと思うのです。

物質的な執着は、まだまだ捨てきれないのですが、悩んでも仕方ない、悲しんでも仕方ない、怒っても仕方ない、などのネガティヴな思考はずいぶんましになってきたかな。と思うのです。

もちろん、ヨガやアーユルヴェーダというインドの叡智も加わっての事ですが結局の所、学問としててではなく長年、Indian達と関わる事で
自然に思考がIndian化していってるのかなと。

《あきらめ》→→《執着を捨てる》
にうまいこと変化した要素は大なのです。^_^

ヨガやアーユルヴェーダでは、
《執着を手放す》がよくテーマになります。
夏は50度近い気温になるインドの厳しい風土、10億人という人口の多さ、多種の宗教、キョーレツなカースト制度などなど、、、複雑で厳しい事柄からうまく逃れる為にもその教えはとても大事な事でよく考えられたテーマだな、とつくづく思うのです。
あきらめないと、やっていけないですからね。

教えに至った事の根本がわかると
とても面白いなと思うのです。

次回は、《分け合う》インド編
ブログリます🙏

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